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為替相場分析オタクのブログ

トレードの手法と悟りは似ている

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2014-01-10

OSHOこと、インドの宗教家バグワン・シュリ・ラジニーシは云う。

どうしてブッダたち、知者たち

悟った人たちのことなんか構うことがある?

イエスやクリシュナや老子

なぜそんな人たちに頭を悩まされることがある?

探索は終わったあなたは<我が家>に帰って来た

どうして祖師達の足跡なんか探し求めることがある?

もう、そんな必要はない

ひとたびあなたがあなたの内奥無比なる本性に戻ったのなら

もうどんな教典も、どんな教理も

どんなヨーガも、どんなシステムも、どんな探索も必要ない


自分に合う相場の見方、考え方ができるようになった人は、自分より遥かに稼いでいるスーパートレーダーにであろうと、他者の手法に興味を示さなくなります。
まさにOSHOの云う、悟りを開いた(我が家に帰って来た)なら、他の覚者たちを探索する必要がないわけです。

私は2012年が明けてすぐにに自分の手法が見えて、それからは他者がいっさい気にならなくなりました。
とはいえ、相場の分析能力とトレードを行う才能は別物であるというジレンマを経験しました。
平たく云うと、自分で作ったルールを守れなかったのです。
他人が作ったシステムでなく、己が鬼のように検証して得た勝率80%の手法に完璧に従えなかったのです。
これにはかなりのショックを受け続けてきました。「私ってアホなんじゃないか?」と。(苦笑)
でもメゲません。あとはただ、トレーダー的精神構造を構築するだけでいいのだから。

いや、極端に言ってしまえば、トレーダーとしてのメンタルが出来上がっていれば、手法なんてぶっちゃけどーでもいいんだということが、2013年の夏にハッキリと分かり、大笑い。

そうなってくると、もっと相場が見えるようになり、自分のメンタルの弱さをカバーするために徹底して来たOCO決済を止め、己の手で決済することにしたら、「これホントに自分?」というくらいお上手なカンジに。w

悟りを「十牛図」として現した中国の禅マスター、廓庵(かくあん)曰く。

酒瓶をさげて市場に出掛け、杖をもって家に戻る。

私が酒屋や市場を訪れると、目をとめる誰もが悟ってしまう。


悟りを開くと、酒場や市場、家、あらゆるところが同等になる。
トレードも、こうでなければダメだとか、環境や姿勢や態度は礼節をもって、などというものがなくなる。
いつでもどこでも、自由に相場の流れに乗るのだろう。

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